豊橋市の歩んできた道

豊橋市のあゆみ

豊橋の名前の由来は、市域に流れる豊川にかかる「豊橋」という橋とされています。

豊橋市域では約10万年前のものと考えられる人骨が発見されています。 この頃は石を割って作った槍形や斧形などの打製石器を使い動物を狩ったり木を切ったり して暮らしていました。 古代豊橋地方は三河国に属し、市域南部には渥美郡、市域北部には八名郡が置かれており 市内では渥美郡の豪族の館跡や市道遺跡、市道廃寺などが見つかっています。 戦国時代には吉田城などいくつもの山城が築かれました。 1564年徳川家康が吉田城を攻略して家臣の酒井忠次を城主に置きますが、 豊臣秀吉が天下を取ると家康は関東に移封され、池田輝政が城主として城地の拡張や 城下町の整備を行います。 江戸時代に入ると現在の市街地の元となる吉田宿と、東海道のもう一つの宿場町の 二川宿が置かれました。 明治に入ると吉田の町は豊橋と改称されその後豊橋県となり、明治5年に愛知県に 合併されました。 そして1889年に豊橋町、1906年に市制施行により今の豊橋市が誕生しました。 その後も東海道線の開通に伴って豊橋駅が開かれるなど近代化への道を歩んできました。 また豊橋には歩兵第十八聯隊などの軍隊をもつ軍都、養蚕業による蚕都としての 一面もありました。 1945年6月に米軍の空襲を受けた市街地は焼け野原となりましたが、戦後の市街地の 戦災復興は計画的に行われ、商業・工業・住宅地域がはっきり分けられた近代都市として 生まれ変わりました。